南米の風に吹かれて
はい、久しぶりのブログです。
帰国後就職までの準備でバタバタしてて、書こう書こうと思っても書けてませんでした。1週間岐阜の山奥にいたんで、、、笑
さて、今回の旅のまとめ。
なぜ南米?なぜ旅?
帰国して早2週間。また日本の生活に戻ってるわけなんですが、海外から帰って来るたびに旅をしていた時間が夢であったかのようなそんな感覚になるんです。
この感覚、わかる人いるかな?
でもそのおかげで自分に期間限定のアンテナが立つんです。日常を非日常として見れるような。
さて今回、南米の旅をした3つの理由。
①前からずーーっと行きたかった場所。あの底抜けに明るい人たちのルーツを知りたかった。
②わくわくという気持ちを辿ったら行きついた(そこに何かある気がした)
③就職をする前にもう一度、自分と向き合ってみたかった。
日本で生活をしていく中で、いや、特に東京という大都会で初めて生活をして、何か大切なものを忘れてる気がしてならなかったこの1年間。どうしても、思い出してから就職したかった。そうでないと自分がダメになりそうな気がしていた。もう一度外の世界を感じたかった。
そんな旅が教えてくれたもの。それは幸せってなんなのかってこと。
やりたいことやって、好きな時に好きなことして、好きなもの買えてそれはそれで幸せなのかもしれない。
でも自分の好きな人たちがそばにいて、家族を持てるなら奥さんがいて、子供がいて、その人たちと過ごすことが最高の幸せなんだって思えた。
だからこそ、そこに気がついた旅人たちはより多くの繋がりを作るため、人が集まる場所を作りたがるのだろう。少しでも多く自分の好きな人たちと過ごす時間を作るために。
無意識なのか、意識的になのか。
日本を周り、海外を今回の南米を含めて13カ国、今まで周った。国の数だけ見ればそんなに大した数字じゃないけど、旅が伝えてくれたことは数え切れないほどある。
人として素直になれた。日常生活でいつからか背負ってしまった、いらない荷物を降ろしてくれた。優しくなれた。
さまざまな技術が発展し、何事も便利、便利になってきてるしこの世の中。人の一生も昔から比べれば段違いに長くなっている。しかし、人が誕生したその時から変わらないであろう根本の部分を探そうとした時、そこが生きて行くためのヒントをくれた。
これらのことは今後の人生でいくらお金を積んだって買えるものではない。わかっているのと実感したことがあるって言うのは天と地ほどの差。僕は実感できた。それを僕は少しのお金と貴重な時間を使って今買った。
すこしのお金+20代の5年間=人生の財産
そしてなぜ僕は『旅』をしたんだろうか。たぶん生きてるっていう実感が欲しかったんだと思う。日常生活がつまらなくて物足りないと感じていたあの時、僕は死んでいたのだろう。だからこそ生きてるっていう実感が欲しくて欲しくてたまらなかった。あの時の感覚で言えばすべてを捨ててでも生きてるっていう実感が欲しかった。息を吸いたかった。
僕が危険なところへ行くとワクワクするのは、ある種生きてるって実感が持てるからなのかも。すっごい危険思想だけど。笑
今回の南米で見つけたもの
さて僕らはいつ生きてるって実感するだろうか?美味いもの食べてるとき?遊んでるとき?綺麗な景色を見た時?いつだろうか?
日本で生活をしていて、なんとなく過ぎて行く1日があるだろう。この生きてる時間が永遠に続くような錯覚さえ起きる。でも時間は無限ではない。これはみんな知っているのに普通に生活してるとついつい忘れてしまう。そんな中では生きてるって実感できない。
誰にでも必ず終わりは来る。それを意識した時にこそ生きてるって実感が得られるのではないか。僕らに与えられた時間をどう使えばいいだろうか?それを有意義に使ったと思えた時こそ幸せを感じれるんじゃないかな?
自分にとっての幸せってなんなんだろうか。
自分が誰かに必要とされること、誰かのきっかけになること。人に囲まれること。
今はこれしか思い浮かばない。いいのか悪いのか、外に出れば出るほど、野心というものが削ぎ落とされて、当たり前を強く求めるようになる。当たり前にご飯が食べれて、不自由しないくらいのお金があって、周りには自分の好きな人たちがいて。やっぱりそれって最高じゃん!
シンプルに生きる。
そんなことを思うきっかけの一つとして街のお祭りとしてのリオのカーニバルに参加したことがあげられると思う。やっと歩き出せたくらいの子供も、10代20代の若者も、60、70以上のおじいちゃん、おばあちゃんだってみんな一緒になって歌って踊って騒いで。
知ってる人も知らない人もみんなでその時を楽しむ。これでもかってくらい楽しむ。
彼らの底抜けに明るいルーツを見た気がした。そのとき、ぶわっと熱いものが心の深いところから込み上げて来るのを感じた。
うまく言葉にできないけど、確かに感じるじわじわとしてて目頭がぶわぁぁあぁって熱くなるやつ。
そしてこんなこともあった。移動中、どこまでも続くような大地を見た。
何かがこみ上げた。熱いやつ。
高山地域に住む人たちの生活を移動中のバスからずっと見てた。目があって合図すると大きくニコッと笑って手を振ってきた。何でもないワンシーン。だけど何故だろうか、また込み上げるものを感じる。これまた熱いやつ。
うわぁぁぁ、今、おれ生きてる!!
これだ!何とも言えないけど、この感覚だ。
シンプルに生きよう。
自分の気持ちに嘘をつき続けるからこそどこかで歪みが来るのだろう。
自分の気持ちに耳を傾けよう。
絶対何かサインを出し続けてるはず。聞こえてないんじゃなくて、聞こうとしてないだけ。
自分の幸せってなんだろうか?
目には見えないし、うまく言葉にできないけど、感じることはできる。自分の幸せの形考えてみてもいいんじゃないのかな?
あなたの幸せってなんだろうか?